◎和賀心へのステップ。お取次を頂いてさっぱりするところから。%V
%1古賀さんの「すみません」に対して
%2伊万里竹内先生のお父さんの立ち日に際して
昭和四十三年二月二十一日 夜の御理解
%Vおかげのあるもなきもわが心とおっしゃるが、いつも自分の心、又わが心を見極めさせて貰い、見つめさせて貰う。そこにいつも教えが生き生きとして生きておる。どの様な場合でも、〈案外〉様々な感情的がございます。何とはなしにいらいらしましたり、何とはなしにです。何か不安であったり。ね。又は腹立たしい事があったり。それではこの自身も助かっておりませんのですし、又それではおかげが受けられない。
%Vそこに日頃頂いておる教えが蘇って来る。そこにあの本当に教えが私を助けて下さるというかね。すきっとしたものが心の中に頂ける。ね。すきっとしたもの。それが和賀心なんだ。ね。常平生なんでもない時には、あの平常心でありますけれども。平常心を持ち続けるという事が信心。
心が波立っておったり、心がさっぱりしなかったり。何か心にしこりがあったり。これではおかげが受けられません。ですから、そういう様なものがないかと言うとあるのですから。私共がそういう時に、神様に本気で打ち向かわして貰う。本気で修行さして貰う。本気でお取次を頂かして貰う。
%1今日、久留米の古賀さんが毎朝、朝の御祈念に参って見えます。昨日は菊栄会でござていましたけれども。出席があっていなかった。朝の御祈念に参っておられて、お昼からも夜も、その会合に出るつもりであったらしいんですけれども。久留米の知名士の方達ばかりの集いが、様々なその商人もおりゃ医者もおる弁護士もおりゃ市会議員もおると行った様な、あの一つのグループがあるらしいんですね。そして毎月懇親会をされる。
%1それでふた月程御無礼しておったから、出らして頂かなあいくまいと言うので、そちらえ出た。つい話が弾んでお酒が入ったりしておりましたから、とうとう本当に相済まん事でございましたけれども、菊栄会を御無礼致しました。そういうのですよ。それで私が古賀さんに言うのですよね。古賀さん本当に今あなたが言う。その相済みませんでしたをね。本当にひとつ心から言うて貰いたい。それを神様にひとつお取次をさして貰う。
%1皆が言う事ですよね。本当に相済みませんとか、本当に私が出来ませんもんですからとか。本当に出来ませんならね、出来ませんと言う事を本当に言うて貰いたい。本当に出来ないなら出来ない事を本当にお詫して貰いたい。只言葉の綾に、ね、相済まん事でございましたけれど。
%1それでは神様にお取次が出来ん。神様の方と自分のそういう様な、まあいうなら、特別に自分の仕事でもない様な事に、ね。どちらを取れば本当かと言う事が分かっておるじゃないか。ね。だから、相済みませんと言うとるじゃろうけども。その相済みませんが本当に相済みませんであるならばです。私は、 さんあんたのいう相済みませんをお取次さして貰う。
%1まあいうなら、昨日から菊栄会の方達気合いを入れられとりましたから、(笑) を入れとかなきゃいくまいと、今度の本当に相済みません。次に出りゃほんなもん。ね。その本当のものを、相済みませんが出たなら、出る様になったらです。絶対神様の方へ御無礼しますがあっちゃあならんのです。
%1又そうあられない。ね。皆が言う事です。おかげ頂きまして有難うございましたとこう言う訳です。本当にそのおかげ頂きまして有難うございますを言うて貰いたい。本当におかげ頂きまして有難うございますなら、朝寝坊なんかしておられん。ね。口だけじゃないか。それで神様に通ずるはずがないと言うて、まあ今日は古賀さんに聞いて貰った、その事を。ね。
ですから、〈兎に角〉信心は厳しい様ですけれども、ただ言葉、形、綾だけではいけない。その事がですね。私、心がさっぱりする様なおかげを頂くという事はですね。本当にすまんならすまんという事を相済みませんと言えた時に、心がはあこれで許されたという気持ちが頂けるんじゃないかと思うのですよ。ね。
本気で、例えば有難うございますと言うたら、神様が受けなさる。相済みませんと言うたら、神様がその相済みませんを受けて下さる。そこに私共の心がさっぱりして来る。ね。そのさっぱりした心が信心。それが和賀心。それがおかげの受け物なんだ。
%2今晩の御祈念に併せて伊万里の竹内先生の所のお父さんの、今日はお立日である。昨日親子、孫、四人でお参りになりました。で今日が遅うに出来ませんから、色々なお供え、様々な用意準備を整えてから、まあ御霊様へご挨拶して頂きたいという事であった。誰でも親の立日と言った様な時にはね。式年祭と言うとこれは又、改まって一つの儀式をなさなきゃあなりませんけれども。はあ今日はね、お父さんのお立日だった。
%2お父さんが甘い物が好きだったから、辛い物が好きだったから、まあおはぎのひとつもさして貰おうか。燗酒の一本も付けさして貰おうかと。自分の御霊さまの前で、ね。自分方の御霊様の前で、いうなら御仏壇なら御仏壇の前で、ね。家族の者がご挨拶をすれば、それで自分の気持ちはさっぱりするけれども。お取次を頂いて、それがなされる時にもっとさっぱりする。ね。お取次の働きというものがここにあるのだ。ね。
%2今朝から東京に、鎌倉におります長男の正教さんから手紙が、とても今日はお爺さんのお立日なんかの事はおそらく、そうですから覚えてもいないこっちゃなかろうかと思うのですけれどもです。何とはなしに御霊様のお喜びとか、働きと言ったようなものを感ずるでしょうが。滅多に手紙なんか出しゃしない正教さんがですね。もう大変なあちらが雪であるという事の事やら、色々最近での修行の事やらを書いて寄越しておる訳でございます。ね。
%2どの様な場合でも、親先生どうぞままよという心にならして貰える程の信心を頂かせて下さい。ままよとは死んでもままよとおっしゃるのでございますけれども。ね。本当にそういう気持で神様におすがり出来れる私にして下さい。という様な事が書いてある。一生懸命修行させて貰う。ね。
%2そういう様な神様が喜んで下さる様な言葉のひとつもです。ね。今日私が、孫の正教さんがこんな手紙を寄越しましたよと御霊様に申し上げる事が出来る。御霊様が喜びなさらんはずがない。そう致しましたら、御心眼に、これは御理解でございましょうね。
%2『あの映画俳優に森繁久弥というのがおりましょう。森重久弥が一杯髭を生やしているところに、奇麗にこう剃っておるところを頂きました。森というのは心が三つと書いてあるね、木が三つ書いてある。繁というのは繁盛の繁が書いてある。久弥というのはいよいよ益々という意味なんです。ね。三つの心というのは昨夜親、子、孫その事にお礼に出て見えた。お願いに見えたその事だと私は思うのです。ね。
%2いよいよおかげの受けられる道がです。そういうさっぱりとした心の上に現れるのだという気がするのだという事であると私は思う。ね。髭を剃っとる。髭を剃る。こうしとるば髭を剃る時の気持はさっぱりしたものでしょう。女の方達は髭を剃りなさらんけんね。そのよう分かりなさらんけれども。
%2男がさっぱりと髭でも剃りなさると、さっぱりと髭を剃ると見た目もさっぱりとしましようが。ね。そういう様な働きがです。自分達の心の上に頂けるという風に。それがいよいよ繁盛の基礎、土台にならないはずがないと私は思うのですよね。』
丁度お互いの心の中に何かもたもたしたもの、すきっとしないもの、いらいらするもの。そういう時にはね。まず心を神様へ向けて、日頃のみ教えを心に頂かにゃいかん。それでも頂けん時には御祈念さして貰わにゃいけん。それでもいかん時には何を置いてもひとつお広前に出てこなきゃいかん。お取次を願わにゃいかん。ね。そして自分の心の中にいらいらのないさっぱりした平常心を取り戻す事に一生懸命ならないかん。ね。
そういういらいらしたりさっぱりしない心であれしたりこれしたりしよるから、様々な、いわば難儀を呼び起こす様な結果になる。ね。これではおかげが受けられないというその心をです。ね。はあこれならおかげが受けられるというところ迄ですね。私はそれを精進するという事がですね。日々のやはり信心修行であると思うのですね。
御霊様に、取り敢えず御霊様にご挨拶さして頂いて、その様な、まあ御理解を頂きました。ね。御霊様もさっぱりなら、ね。それをこうしてお取次をさして頂く竹内一家もさっぱりした気持で、おそらくは今晩自分の家の御神前、又は御霊家の前でこの時間にきっと御祈念があったり、まあお供えもののひとつもなさって御霊様へのご挨拶があっておる事だろうと私は思うのでございますけれどもね。その後にです。おかげ頂いてよかったというものが生まれて来る。その心が和賀心。その心がいよいよ繁盛に繋がる心なのです。どうぞ。